じつは粗忽者

富士通のワープロOASYSから親指シフトが大好きです

春の関東平野西辺をゆく

 猛暑の時期が過ぎ去ろうとしている昨日今日に春先のことを書こうなどとは、時期はずれにもほどがありますが、ちょとよさげな数枚の写真をLightroom Classicの未整理のライブラリに見つけたので撮影時期などの整理のために記事として残すことにしました。

今回使用したレンズ

 ぶらぶら歩きながらのスナップ撮りなので、APO-LANTHAR 50mm F2 Asphericalを持ち出しました。

青春18きっぷの残りを消化する

 今回八高線に乗ることを思いついたのは、春の青春18きっぷの残り二日分の使い道をどうしたものかとJRの路線図を眺めていて、そういえば八高線に乗っていないことに気づいたことがきっかけです。

深谷駅周辺

 前日に思いついて出かけたので八高線の運転時刻をよく調べておらず、高崎線の列車内で、2時間近く高崎で待ち時間を過ごさなければならないことがわかりました。2時間ではさすがに高崎観音まで往復するには時間が足りませんし、高崎駅の構内で時間を潰すのはあまりに芸がない。はてさて…

 そうこうしているうちに列車は深谷駅に到着。ここは葱が名産だなぁと思い起こしていると、昨年のNHK大河ドラマの主人公の渋沢栄一翁の故郷でもあることに気がつきました。途中下車して、駅周辺で翁の足跡を探してみることにします。

 深谷駅舎。東京駅ふうの建物ですが、"JR FUKAYA STATIIN"の文字が邪魔。

駅コンコースの奥に貼られているポスター。

渋沢翁の故郷の血洗島は駅から少し距離があります、それにしても血洗とはなんとも物騒な地名ですが渋沢栄一デジタルミュージアムに掲載されている資料によれば、アイヌ語の「ケシ=厚岸、ケセン=気仙沼、ケッセン」を漢字に当てたとか。諸説があるようですが、荒川に関わる地名のようです。

 駅の西側ある龍宮神社。

海なし埼玉で龍宮とはこれまた。読みは「たきのみや」、やはり荒川が由来のようです。昔は氾濫を繰り返す暴れ川だったんでしょう。

https://www.takinomiya.or.jp/yuisho.html

龍宮神社を出て神社の前にある小川の川縁をぷらぷら。

手前の蕾にピントを合わせます。絞りは開放の2.0。

次は、その上の蕾、

SONY α7RIIIはこのレンズを使うために持っているようなものです。

駅周辺に渋沢翁の足跡を見ることはできませんでしたが、久しぶりにAPO-LANTHARを使えたのでよしとしましょう。

八高線

高崎駅

 高崎駅八高線に乗換。手前の倉賀野で乗換ても良かったのですが、八高線ホームにある駅そばに寄ろうかと思い高崎まで来ましたが、残念ながら時間がなく見送り。試合勘ならぬ時刻表勘が甘いようです。

 八高線の車両はキハ110系200番台。キハ110系は磐越東線小海線でも乗っているのでほぼおなじみの車両。寄りの駅から乗るE231系E233系の次に乗車時間が長い車両です。

 乗車した列車は児玉止まりだったので、撮影スポットを探しながら付近を散策します。それにしても、コンビニエンスストアは一軒もありません。

 駅の周辺には、養蚕に関連する史跡がいくつか。群馬の富岡製糸場を始めとする養蚕業は明治時代の日本にとっては最重要産業だったことが偲ばれます。この児玉駅も当時はお蚕玉の搬入と生糸の発送でさぞかし賑わったことでしょう。

 次の列車に乗るために跨線橋を渡ります。遠くには谷川山系の山々。まだ中腹付近まで雪に覆われています。

上り列車が到着。この駅で上りと下りの列車が交換します。八高線は単線の路線なんです。

越生-比企地域の西辺

 次の下車駅は越生です。

駅前に渋沢栄一翁の養子となった渋沢平九郎を紹介する立て看板があります。

そしてここは今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼朝の乳母だった比企尼と後に北条義時によって滅ぼされた比企一族が領地としていた地域の西辺です。比企一族は鎌倉時代の歴史書では悪役とされていて、地元でもその足跡は希薄なようです*1が、大河ドラマで取り上げられたことから、来年は看板が建っているかもしれません。

越生といえば梅林ですが、梅の時期はとうに過ぎているので駅前は人も疎ら。駅近くの桜の山公園を目指します。

それでも、幼児からお年寄りまで思い思いに公園内を散策する方々。

コゲラも登場。

木をつつきだすとシャッタースピード1/500以上を確保しないとくちばしの動きを止めることはできませんがじっとしてくれているとなんとかなります。

 桜をしばらく眺めてから駅に戻り、高麗川から川越経由で埼京線に乗り換えて帰ります。途中、寄居で途中下車しようか迷いましたが、後日青春18きっぷの最後の1枚の目的地とすることにして今日は通過。大宮で乗り換えないとなりませんが、埼京線の着く地下ホームから地上へ上がることが面倒だったので、一つ先の北与野駅新都心のテラスをつたってさいたま新都心駅へ歩きます。北与野駅無人駅になっており同好の方が駅の外に出る方法が分からず立ち往生していましたの改札のインターホンで青春18きっぷで出場する旨を伝えていっしょに駅外へ。八高線無人駅でも同様でしたが、SUICAに慣れているとこんなときにどうしたものか躊躇します、青春18きっぷの購入時にいっしょに渡される注意書きの中に1行追記してくれることを期待します。

 春の日射しの中、終日列車に揺られて楽しい一日でした。

後日

後日、改めて撮り鉄をしてきました。

謝辞

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*1:読売新聞オンラインの記事を参考にしました

www.yomiuri.co.jp